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大津地方裁判所 昭和25年(ワ)10号 判決 1954年12月07日

大津市粟津西町千八十六番地

原告

奥村甚吉

右訴訟代理人弁護士

北川正夫

同市膳所中庄町四百八十六番地

被告

木戸重一

右訴訟代理人弁護士

信正義雄

主文

被告より原告に対する京都地方法務局所属公証人生駒純作成第五万二千七百四十号債務履行契約公正証書の執行力ある正本に基く強制執行は、これを許さない。

訴訟費用は被告の負担とする。

本件につき、昭和二十六年一月二十二日当裁判所がなした強制執行停止決定は、これを認可する。

前項に限り、かりに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求め、その請求の原因として次のように述べた。

昭和二十五年四月十七日京都地方法務局所属公証人生駒純役場において、訴外滋賀証券株式会社と原告との間に、原告が右訴外会社に対し金六十七万五千八百円の株式売買委託取引上の債務を負担することを認め、これが履行期を同月十八日と定め、履行遅滞の場合は日歩五銭の割合による損害金を支払うべく、且つ不履行の時は直ちに強制執行を受くるも異議なき旨を記載した公正証書が作成された。そして被告は同年五月二日訴外会社より右債権の譲渡を受けたとして該公正証書に基き原告に対する強制執行に着手した。而しながら

(一)  原告は訴外会社に対して本件公正証書記載の債務を負担せる事実はない。尤も原告が昭和二十四年十月二十七日以降昭和二十五年二月二十日までの間訴外会社と別表(一)記載の如き株式売買の委託取引をした事はあるが、上記二月二十日に建玉全部を手仕舞いし、同日に於ける計算尻は金二万二千円だけ原告の損失勘定になつたところ、一方原告は右取引の証拠金及び証拠金代用として現金三万五千五百円と日本曹達株式会社新株一千株を訴外会社に交付してあるので、これを清算すれば原告より訴外会社に支払うべき取引上の債務は存在せず、却つて訴外会社より証拠金の一部の返還を受くべき勘定になる。

(二)  同公正証書には、藪下周吉なる者が原告の代理人として訴外会社の代理人たる木戸重一と共に右公証人役場へ出頭して公正証書の作成を嘱託した旨が記載されているけれども原告は右藪下周吉に対してかかる公正証書の作成を嘱託する事の代理権を与えた事はない。右公正証書の作成に使用されている原告名義の委任状は、全くの偽造か、然らずとするも原告が他の目的に使用する為に発行した白紙委任状を冒用したものであつて、何れにしても右公正証書は正当の代理権に基かずして作成せられた無効のものである。

(三)  仮に上叙昭和二十五年二月二十日の建玉全部手仕舞の主張が認められず、原告と訴外会社との株式売買の委託取引によつて本件公正証書記載の如き債務が生じたものとしても、右取引は全て増資決〓に基き旧株主に対する新株の割当てがあつただけで、また株金の払込みがなされない以前の権利株の売買であり、且つ現物の授受を目的としない差金取引であつて、これが損失債務はいはゆる不法原因に基くものであるから、裁判上の請求権がなく、従つて強制執行も許されないものである。

(四)  なほ、被告が訴外会社より本件公正証書による債権の譲渡を受けたと云う事実も存在しない。仮にその契約があつたとしても、原告は訴外会社の当時の役員で、而も本件公正証書作成に当つて訴外会社の代理人となつた者であつて、訴外会社が自ら原告に対して本件債権を請求し難い特殊事情よりして被告の名義を利用せんが為になされた仮装行為である。

以上の次第で、本件公正証書に基く被告の強制執行は許されないものであるから、これが執行力の排除を求める為本訴に及ぶ、とかように陳述し、

被告の答弁に対して、

(一)  原告が訴外会社に対して別表(二)の(イ)記載の如き買建注文をしたとの事実は否認する。

(二)  なほ、本件公正証書作成に至る経過が被告の主張する如くだとすれば、右公正契約は債務額の決定、履行条件、代理人選任等一切を挙げて債権者に一任し債権者の自由に定める条件に依つて債権者の選任した代理人との間に締結せられたものであつて、いわゆる自己契約の禁止を定めた民法第百八条に違反し法律上無効のものと云はねばならない。

と述べ、

証拠として、甲第一号証同第二号証の一乃至四同第三号証の一乃至三十八同第四、五号証同第六号証の一、二を提出し証人服部正男の証言及び原告本人尋問の結果を援用し、乙第四、五、六、八号証は何れも不知、その余の乙号証は全部成立を認める、と述べた。被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として次のように述べた。

原告の主張事実中、その主張の如き公正証書が作成されている事、被告が右公正証書に記載された債権の譲受人として該公正証書の執行力ある正本の附与を受けた原告所有の不動産に対する強制執行に着手した事、及び右公正証書の債権の発生原因となつた滋賀証券と原告間の株式売買の委託取引が原告主張の如き株金払込前の権利株の売買であつた事は何れもこれを争わない。併しながら、

(一)  原告は昭和二十四年十月二十七日以降滋賀証券に対してその主張にかかる別表(一)記載の如き(但し後段に述べる売手仕舞委託の点を除く)株式売買の委託をなした他、尚同年十二月二十七、八日両日に亘つて別表(二)の(イ)記載の各株式の買付委託をなし、滋賀証券はこれが取引を実行した。そして原告が即日売手仕舞をしたと主張する昭和二十四年十一月二十五日買付けの商船株並びに昭和二十五年二月二十日に売手仕舞をしたと称する各建玉に就てはかかる手仕舞の委託はなく、右各株式と昭和二十四年十二月二十七、八日の買付の分とはそのままになつていたところ、株価の値下りの為原告より差入れを受けていた証拠金に不足を生じ、而も原告からこれが追証拠金の納付がなかつたので、滋賀証券は商慣習に従つて上叙建玉の全部につき別表(二)の(ロ)記載の如く強制手仕舞をなし、その結果原告から差入れてあつた証拠金及び証拠金代用証券を処分した金員を差引いて結局六十七万五千八百円の原告の損失勘定に帰したものである。

(二)  ところで、これより先、昭和二十五年三月下旬に於て既に原告の本件株式売買による損失は六十万を超える額に達していたので、滋賀証券は将来右委託取引を継続するについて原告に相当の担保の差入れ方を要求した結果、その頃原告は自己所有の土地建物に対して債権の極度額を七十万円とする根抵当権を設定する事を承諾すると共に、原告が当時滋賀証券に対して負担していた前記株式取引上の損失金債務及び将来の取引によつて負担する事あるべき債務一切の履行に関する公正証書を作成する事を約し同時にこれに要する白紙委任状と印鑑証明を右会社に交付し、滋賀証券に於て原告の代理人を選任の上右債務の履行条件等全て右会社の定める所に従つて公正証書を作成すべき事を一任した。依つて滋賀証券は昭和二十五年四月七日上叙(一)記載の原告の損失金債務六十七万五千八百円の支払に関し、前記約定に基いて訴外藪下周吉を原告の代理人に選任して、同人との間で本件公正証書を作成したものである。

(三)  右の如く本件公正証書記載の債権は厳として存在するものであつて、被告は昭和二十五年五月二日滋賀証券株式会社より右債権の譲渡を受け、同日右会社よりその旨を原告に通知している。

(四)  尚、本件株式売買委託取引の当時に於ては、本件の如き株金払込前の権利株の売買は業界の慣行として広く一般に行はれていたものであつて、決して原告の主張する様な違法な取引ではない。

とかように陳述し、

証拠として乙第一、二号証同第三号証の一、二、同第四号証乃至第六号証同第七号証の一、二、同第八号証同第九号証の一乃至三を提出し、証人上田啓次の証言を援用し、甲号証は全部成立を認め、同第一号証及び第四号証を利益に援用する、と述べた。

理由

訴外滋賀証券株式会社と原告との間に原告主張の如き内容の公正証書が作成せられていること、及び被告が訴外会社より右公正契約による債権の譲渡を受けたとして、該公正証書の正本に執行文の附与を受け強制執行に着手した事は、当事者間に争いがなく、本件公正契約は訴外会社が原告から予め交付を受けていた白紙委任状を利用し、訴外会社自身で訴外藪下周吉を原告の代理人に選任し、右藪下と訴外会社の代理人となつた被告との間に成立させたものである事は後記認定の通りである。

ところで、公正契約をするに当り、その一方が相手方の為に代理人を選任する事自体は必らずしも違法とは云い得ず、従つて右の選任を予め委任しておく事も又可能である。併しながら、民法第百八条がいわゆる自己契約及び双方代理を禁止した法意からすれば、右の如き方法による締約が是認されるのは、その行為が同条但書にいう債務の履行であるか、又は行為の内容が当事者双方の意思に依つて予め確定されていて代理は唯その約束の形成的な処理に過ぎない様な場合即ち、これに依つて当事者間に新たな利害関係が生ぜず、従つて本人の利益が不当に害される虞のない場合に限らるべきであつて、然らざる場合は、前示百八条の趣旨よりして許されないものと解するのが相当である。

原告は、本件公正契約が前叙の趣旨に基き、民法第百八条の規定の精神に違反する無効のものであると主張するので、先づこの点に就て考えて見よう。成立に争のない乙第一号証(根抵当権設定株式売買取引契約証書)同第三号証の一(被告の印鑑証明)原告から訴外会社へ交付される際、活版印刷の部分及び原告の氏名捺印を除くその余の部分が白地のままであつた事に就て争のない同号証二(公正証書作成の委任状)及び成立に争のない同第九号証の一乃至三(白紙委任状)に証人服部正男同上田啓次の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は昭和二十四年十二月二十七日より訴外会社と株式の委託売買をなし、昭和二十五年三月末頃に於ける訴外会社の帳簿尻計算では六十万円余の原告の損失勘定になつていた所、その頃原告は訴外会社の勧めに依つて更に同会社と委託取引を継続する事になつたが、その際従来の取引による損失金債務及び将来負担する事あるべき株式委託売買による債務等一切に就て担保を差入れる事とし、依つて原告は右会社との間に「前記債務を担保する為その所有に係る不動産に限度額を金七十万円とする根抵当権を設定する事、現在及び将来の建玉は同年五月二十日限り一応受渡決済を了し清算する事、原告が右期限までに建玉の決済をしない時は訴外会社に於て任意手仕舞をされても異議ない事、債務の支払を遅滞した時は日歩五銭の割合による損害金を支払う事、右債務の厳行に就ては別に公正証書を作成する事、前記抵当権の設定登記及び公正証書の作成に必要な原告の委任状その他の書類は原告から予め訴外会社へ交付しておき、訴外会社に於て原告の代理人を選任の上任意に登記及び公正証書の作成をするも異議ない事」等を約した根抵当権設定株式売買取引契約書(乙第一号証)を作成し、同時に登記の為の委任状を訴外会社へ交付した。所が、当初原告から抵当物件として提供した浴場建物は、登記簿上所有名義者が原告でなかつたので訴外会社は更に代り担保として原告の現住家屋とその敷地とを差入れさせる事にしたが、原告はこれが権利証を訴外会社へ交付する事を拒み、而も前記乙第一号証の契約書作成後全然新しい売買委託をする事がなかつた為、訴外会社は昭和二十五年四月中自己の帳簿上の記載に基き原告の従前の取引中未決済となつている建玉全部について強制手仕舞をした結果、金六十七万五千八百円の原告の損失勘定になつたので、前記約旨に従つて原告より公正証書作成の為の白紙委任状を差入れしめ右損失額を原告の債務額として、該白紙委任状に基き訴外藪下周吉を原告の代理人に選任して本件公正証書を作成したものである事実を認める事が出来る。さて、本件公正証書作成の為原告から訴外会社へ交付された委任状は受任者の記載がなく、委任事項としては期限短縮条件その他特約を要する事項及び附随事項を取極め、不履行の場合に於ける強制執行の認諾を約し、且つ公正証書の作成を公証人に委嘱する事等を指示した印刷の部分はあるが、債権者、債務額、弁済期日、期限後の損害金等についての具体的記載をなすべき部分が全て白地のままであつた事は既に説明した通りであつて、唯前記委任状に印刷されている事項及び上叙根抵当権設定株式取引契約書に於て原告が約諾した期限後の損害金に関しては原告もこれを承諾していたものと認むべきであるが(原告はその本人尋問に於て、右契約書の内容は全然見ていないと称してその内容の約諾を否認する如き供述をしているけれども直ちに信用出来ない)、その以外の公正証書に表示せられる原告の債務額、弁済期日等については、別に当事者間の協定によらざるを得ないわけである。而るに、これらの事項について特に協定がなされた事実を認めるに足る証拠はなく、殊に原告の債務額については、本件公正証書作成に至る経過に関して上に説明した所からも推知し得るが如く、該公正契約の目的となつた原告の債務額六十七万五千八百円の算出については殆ど原告の関与する所がなく、訴外会社が自己の帳簿等の記載に基き一方的に計算したものであり、而もその額につき原告の承諾を経る事の手続をしていなかつた事は前顕服部正男の証言、原告本人尋問の結果等に依つて明かである。尤も成立に争のない乙第二号証によれば、本件公正証書作成に先立つ二日前の昭和二十五年四月十五日訴外会社より原告に宛てて同日現在に於ける原告の債務額が前記六十七万五千八百円になる旨の通知を発している事実が認められるけれども、右は単なる一方的通知に止まるものであつて採るに足りない。而して本件公正契約に就て原告の代理人となつた藪下周吉は当時訴外会社の社員たりし者であり、同会社の指示に従つてその云うままに本件公正証書を成立させたのである事も亦前記各証言供述並びに弁論の全趣旨に依つて推知し得られる所である。

さすれば、本件公正契約は既に説明した理由よりして民法第百八条の法意に反し、本人たる原告に対してその効力を有しないものと云うべく、これに基く強制執行の許されない事は明かである。爾余の争点に関する判断をまつまでもなく原告の本訴請求を正当として認容すべきである。

依つて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、強制執行停止決定の認可並びにその仮執行宣言につき同法第五百四十八条第一、二項を適用し、主文の通り判決する。

大津地方裁判所民事部

裁判長裁判官 小石寿夫

裁判官 松本保三

(裁判官山本一郎は転補につき署名捺印する事が出來ない)

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